「カレーライスを一から作る」

 野菜やスパイスを種から育て、お米も苗から育て、肉になる鳥は雛から育て、食べるための器も土から作り、塩は海水から煮出して作る……という、「カレーライスを一から作る」関野ゼミの9ヶ月を追った本。やはり屠殺に対する心理的な抵抗感は非常に強いのだけど、それを考えることはある意味で当然として、じゃあ植物はなぜよいのか? すべてを一から作ることで、なぜ植物の収穫は喜べて動物の屠殺は喜べないのか? 植物と動物の命に差はあるのか? 動物が動物を捕らえ食べることと何が違うのか? 命をいただくプロセスを知ることは、私たちの責任のひとつなのかもしれない。

 

 読んでいてふと思い出したことがあって、昔よく母から聞いたのは、祖母がひよこを貰ってきて、母がピイちゃんピイちゃんとかわいがっていたんだけど、ある日突然いなくなり、どこへ行ったかと祖母へ尋ねると、どうも肉屋へ売ってしまったらしい。祖母は最初から食用として認識していたが、母はペットとして飼っていたので食用とされてしまったことにたいへんショックを受けたようだ。これは個人というよりも、年代間のギャップであるように思う。

 この本のプロローグにも書いてあるとおり、鶏が食用であるとわかってはいるものの、スーパーマーケットで売っている鶏肉がどういうプロセスで私の手元にたどりつくのか考えられるほど現代は屠殺が身近でない。食用の鶏を見てもかわいい、屠殺の瞬間はかわいそうと思い、はたまた店頭で肉を見ればおいしそうだと思う。鶏と加工された鶏肉が地続きになっていないのだ。そのことはこの本を読んでいて特に強く自覚させられた。

 

 ところで東京でも屠畜場の見学ができるようです。↓

 「お肉の情報館」案内|東京都中央卸売市場

https://www.shijou.metro.tokyo.lg.jp/syokuniku/rekisi-keihatu/rekisi-keihatu-03-01/

 平日のみですが、どこかで休みをとって行ってみようと思います。