「アウシュヴィッツの生還者」

 アウシュヴィッツのボクサーといえばテディをイメージしますが、今回はハリー・ハフト(ハリーは米名)というこちらも実在するボクサーが主人公です。

 テディとハリーも実在するのに彼らのマッチはないの?と疑問がわいてきますが、アウシュヴィッツで同僚を守るため看守を殴りつけていたハリーはSSにその力を見出され、ヤヴォジュノ労働収容所というアウシュヴィッツ北部のサブキャンプに移送されます。それが1943年のことで、また、テディは同時期にアウシュヴィッツからノイエンガンメへ移送されていますから、テディとハリーは会っていたかもわかりません。

 SSディートリヒ・シュナイダーは賭けボクシングの選手としてハリーを特訓し、ハリーは勝てばガス室送りをシュナイダーによって先延ばしにしてもらえ、負ければその場で撃ち殺されるという極限状態で生きることになります。当然囚人同士の戦いで、ハリーは同じユダヤ人の囚人から「ナチスのために同胞を殺している」と敵視されることになり、これは解放後アメリカでボクサーとなり、収容所での過去が記事になったときも、ユダヤ人コミュニティから「裏切り者」と非難を受けます。ハリー自身も勝った数だけ同胞が殺害されており、常に酷いPTSDに苦しんでいます。このあともロボトミーの時代がやってくると考えると、彼らのような生存者が十分なケアを受けられなかっただろうことは想像に難くありません。

 肝心の試合のシーンは、、、アメリカでの試合はストロボのフラッシュが焚かれるので(特にマルシアーノ戦)、頭痛を恐れた私は常に目をつぶって手で覆うことに。なんじゃそりゃ……。ということで頭痛持ちの人は結構鑑賞が辛いかもしれません。そこ?

 また、アメリカの映画のためか収容所シーンもほぼ英語です。囚人同士はドイツ語で話し、SSは英語で話す……など中途半端な印象を受けました。彼らが「違う身分」であることを強調したり、またときにはSSも囚人もドイツ語で話して「同じ人間」であることを表現したり、という効果もありそうですが、なんだか妙な違和感があって、全体的に入り込めなかったのが正直なところです。(ストーリー上ロマンス要素が個人的に強すぎたのも一端ですが……)

 

 ホロコースト映画は毎年のように作られていることは、「新しい戦前」と呼ばれる現代にとって、よりどころになっているような気がします。これが作られなかったとき、それは世間が興味を失ったことと同義であるように思えてなりません。ヒトラーの「ナチズムは100年後に蘇る」という言葉におびえて日々生きていますが、なるべくこういう映画は観ていこうと思います。