ベタベタサンデーPM

 書店兼カフェ「Title」へ念願かなって行くことができました(まあ暇なのでね……)。手持ちの本を読みたくて、だったのですが、並んでいる本がどれも興味をそそられるもので、帰り際ど分厚いのを一冊買ってみましたよ。SNSについての本なので、せっかくだしと読み終わるまでSNSは全部ログアウトすることにしました。

 今日読み終わった本も物凄く良かったです。記事にしたいな~と思っておりますが、こういうこと書くとやらないのよね。忘れた頃に出てくるかも。

 静かなカフェってあまりないけど、こういうところが他にもないか探してみようかな。初心に戻って神保町?

クラクフ〜プラハ旅行記:3日目 アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所①

 どのように書こうか迷って、結局10ヶ月も経過してしまいました。お待ちくださりどうもありがとうございます。一部記憶が薄れているところもありますが、ご参考になれば幸いです。

 

●3日目:アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

 

 今回の一番の目的です。何がきっかけだったか忘れましたが、小学生の頃に児童向けの抜粋されたアンネの日記を読んだのがホロコーストホロコーストは古代ユダヤ教の宗教用語であり、ユダヤ民はこのジェノサイドをそのように当てはめるべきではないとして、ヘブライ語の「ショア shoah」を用いる動きもあるようです。)を知るきっかけだったと思います。そのあと何年かして、またふと思い出して今度は全文を図書館で借りて読み、その後は継続して映画や本に触れながら「一度は必ず訪れたい」と思いつつ、「とはいえあまりに遠くて行けないだろう」と諦観の念もいだいていました。

 ところが最近になって、アウシュヴィッツに日本人ガイドの中谷剛さんという方がいることを知り、彼の本や記事を読んで、気づけば航空券を取っておりました。上司に言う前に。(あとから、「ほんとに休むの……?」と聞かれた。ちゃんと事前に伝えておきましょう。。。)

 

 先述のとおり、ガイドは日本人の中谷剛さんにお願いしました。9月4日に中谷さんのアドレス(nakatani⭐︎wp.pl)へ、10月半ばの何日に見学したい旨をお伝えしたところ、催行可否がわかるのは月末とのことでした。私の場合は催行可の連絡がいただけましたが、万が一の場合に備えて英語ガイドかガイドなしも検討しておかと良いかもしれません。ですが、予定をずらしてでも中谷さんガイドをつけることをおすすめします。展示は文字での説明が少なく、意図が汲み取れない可能性があります。

 朝10時集合なので、前日のうちに買っておいたクイニーアマンが朝食です。

 ここはとっっってもおいしかった!!!!!! フェタチーズとほうれん草、キャラメルの2つ。あとカード決済できます。

 

 そして。。。

 一応ね、昨日のうちにバス停の下見もしたし、大丈夫だと思ったんですけど。

 

 結構歩くのよね。

 ほ〜んとバカバカ。8時5分に出発なのよ? 今何時って……7時40分なのね。

 

 乗り遅れたら一貫の終わりなのに、乗り方がいまいち不明な路線バスなんて恐ろしくて使えません。信じられるのは己の脚だけ。地面に脚がついてればどこへだって行けるんですから。

 とんでもなくギリギリな時間にホテルをチェックアウトした私はスーツケースをフロントで預かってもらい(3時くらいに取りにきます!!!と泣きそうになりながら頼んだ。泣いてたかもしれない)、ここからは全力ダッシュです。

 あまりの爆走に知らないおじさんから何事か声をかけられましたが、ポーランド語はわからないのでガンスルーで走る。

 

 走って

 走って

 

 ………

 

 間に合った〜〜!!!

 8時2分。

 

 コロナがまだまだ……という感じなのか、乗客は少なかったです。ここで日本人らしき方を発見し、話しかけてみると同じツアーに参加するらしく、となりに座って到着まで歓談。満員時はスリなどもあるようなので、お気をつけください。二人がけシートが二列です。

 

 到着。ほぼ定刻、あるいは少し早いくらいだったと思います。この建物は受付と荷物検査用で、収容所ではありません。

 しばらくして中谷さん、他の参加者が集まり中へ。荷物検査は空港並みです。

 

 有名な門。この門から出るのを誰もが願って、そして叶わなかったのに、私は好きなように入って、出られる。通る時はなんとも言えない気分でした。

 

 レンガ造の建物は元々ポーランドの兵舎だったものです。写っている木々は戦中または戦後まもない頃(すみませんがあいまいです)植えられたもので、月日の長さを感じます。

 収容所だと知らなければ「綺麗だ」と言っていたかもしれません。

 この日は暖かく天気も良かったのでなおさらで、この風景が地獄であったとはなかなか想像し難いことでした。

 

 収容所の地図。

 ビルケナウの大きさがわかります。東部のモノヴィッツは1945年にソ連軍の手で破壊され、現在は残っていません。

 中に入ります。

 アウシュヴィッツへはナチスドイツ占領下のヨーロッパ各地から移送されました。

 選別を待つ女性・子どもの列。前方の少年は撮影するSSを睨め付けており、強い憎悪が写真からも伝わってくる。

 ガス室で使用されたチクロンBの缶の山。犠牲者の数を物語っています。

 

 ここで一度外へ。囚人のベッドが窓から見えるのですが、写真だとあまりわかりませんね。

 取り上げられたメガネ。夥しい数です。

 義足、義手、松葉杖など。第一次世界大戦で手足を失った人々が多くいました。こうして収容された中には当然ドイツ人としてドイツのために戦い、義肢となった人々もいると考えると、その痛みはどれほどだろうと思います。

  食器類、靴。帰れないとわかっていながらも、一縷の望みをかけて持ってきたものたち。もう履けないだろうハイヒールを、それでもと持ってきた女性の姿を想像します。

 刈り上げられた女性の髪や、髪で作られたじゅうたんの展示は撮影禁止です。これは尊厳を守るためです。人の一部であることを決して忘れてはいけません。加工されたじゅうたんは、やはりその過程から市場でもあまり受け入れられなかったようです。

 住所と氏名が書かれたカバン。本当であればここにあるべきでなく、持ち主や親族、知り合いに引き取られるのを待っているんです、という説明をよく覚えています。

 再度外へ。長くなりそうなので一度切ります。

「アウシュヴィッツの生還者」

 アウシュヴィッツのボクサーといえばテディをイメージしますが、今回はハリー・ハフト(ハリーは米名)というこちらも実在するボクサーが主人公です。

 テディとハリーも実在するのに彼らのマッチはないの?と疑問がわいてきますが、アウシュヴィッツで同僚を守るため看守を殴りつけていたハリーはSSにその力を見出され、ヤヴォジュノ労働収容所というアウシュヴィッツ北部のサブキャンプに移送されます。それが1943年のことで、また、テディは同時期にアウシュヴィッツからノイエンガンメへ移送されていますから、テディとハリーは会っていたかもわかりません。

 SSディートリヒ・シュナイダーは賭けボクシングの選手としてハリーを特訓し、ハリーは勝てばガス室送りをシュナイダーによって先延ばしにしてもらえ、負ければその場で撃ち殺されるという極限状態で生きることになります。当然囚人同士の戦いで、ハリーは同じユダヤ人の囚人から「ナチスのために同胞を殺している」と敵視されることになり、これは解放後アメリカでボクサーとなり、収容所での過去が記事になったときも、ユダヤ人コミュニティから「裏切り者」と非難を受けます。ハリー自身も勝った数だけ同胞が殺害されており、常に酷いPTSDに苦しんでいます。このあともロボトミーの時代がやってくると考えると、彼らのような生存者が十分なケアを受けられなかっただろうことは想像に難くありません。

 肝心の試合のシーンは、、、アメリカでの試合はストロボのフラッシュが焚かれるので(特にマルシアーノ戦)、頭痛を恐れた私は常に目をつぶって手で覆うことに。なんじゃそりゃ……。ということで頭痛持ちの人は結構鑑賞が辛いかもしれません。そこ?

 また、アメリカの映画のためか収容所シーンもほぼ英語です。囚人同士はドイツ語で話し、SSは英語で話す……など中途半端な印象を受けました。彼らが「違う身分」であることを強調したり、またときにはSSも囚人もドイツ語で話して「同じ人間」であることを表現したり、という効果もありそうですが、なんだか妙な違和感があって、全体的に入り込めなかったのが正直なところです。(ストーリー上ロマンス要素が個人的に強すぎたのも一端ですが……)

 

 ホロコースト映画は毎年のように作られていることは、「新しい戦前」と呼ばれる現代にとって、よりどころになっているような気がします。これが作られなかったとき、それは世間が興味を失ったことと同義であるように思えてなりません。ヒトラーの「ナチズムは100年後に蘇る」という言葉におびえて日々生きていますが、なるべくこういう映画は観ていこうと思います。

For Me, It's You


Lo Moon - For Me, It's You (Visual) - YouTube

スマホからじゃYouTubeの埋め込みができなくなっちゃった…)

 

 Lo Moonのこの曲は今夏ハマった二大音楽のひとつになるかも(もう片方は天野月子の箱舟です。多分書くタイミングがないのでここに書いちゃう)。間奏のファズが最高!と思ったところに最後の最後、雲の向こうに薄く見えていた空がぱっと開けるような感覚があって、苦しさから解き放たれたように血がめぐる。

 Spotifyには年末だけじゃなく半期末にもトップソングプレイリスト作ってほしいけど、あれは年1回だからこそのありがたみがあるんだろうなあ。

 

 全然関係ないんだけど、会社の人に「私ブログやってるんです」と口を滑らせてしまう悪夢を見て、その日のポケモンスリープの録音を確認したらしっかりうなされていた。うなされるようなブログを書いています……。

「カレーライスを一から作る」

 野菜やスパイスを種から育て、お米も苗から育て、肉になる鳥は雛から育て、食べるための器も土から作り、塩は海水から煮出して作る……という、「カレーライスを一から作る」関野ゼミの9ヶ月を追った本。やはり屠殺に対する心理的な抵抗感は非常に強いのだけど、それを考えることはある意味で当然として、じゃあ植物はなぜよいのか? すべてを一から作ることで、なぜ植物の収穫は喜べて動物の屠殺は喜べないのか? 植物と動物の命に差はあるのか? 動物が動物を捕らえ食べることと何が違うのか? 命をいただくプロセスを知ることは、私たちの責任のひとつなのかもしれない。

 

 読んでいてふと思い出したことがあって、昔よく母から聞いたのは、祖母がひよこを貰ってきて、母がピイちゃんピイちゃんとかわいがっていたんだけど、ある日突然いなくなり、どこへ行ったかと祖母へ尋ねると、どうも肉屋へ売ってしまったらしい。祖母は最初から食用として認識していたが、母はペットとして飼っていたので食用とされてしまったことにたいへんショックを受けたようだ。これは個人というよりも、年代間のギャップであるように思う。

 この本のプロローグにも書いてあるとおり、鶏が食用であるとわかってはいるものの、スーパーマーケットで売っている鶏肉がどういうプロセスで私の手元にたどりつくのか考えられるほど現代は屠殺が身近でない。食用の鶏を見てもかわいい、屠殺の瞬間はかわいそうと思い、はたまた店頭で肉を見ればおいしそうだと思う。鶏と加工された鶏肉が地続きになっていないのだ。そのことはこの本を読んでいて特に強く自覚させられた。

 

 ところで東京でも屠畜場の見学ができるようです。↓

 「お肉の情報館」案内|東京都中央卸売市場

https://www.shijou.metro.tokyo.lg.jp/syokuniku/rekisi-keihatu/rekisi-keihatu-03-01/

 平日のみですが、どこかで休みをとって行ってみようと思います。

ジブリ 君たちはどう生きるか【ネタバレあり】

 宮崎駿(なお引退中。引退中とは……)もこれで最後かもと思って観てきた。ボブ・ディランが来日したときも同じこと思ってコンサート行ったけどそのあとも元気に来日した。健康はいいことだ。

 オデヲン初めて行きましたが結構いいですね。狭いから飲み物自販機、食べ物持ち込み。紅茶花伝の410mlしか入ってないフルーツティーが200円で売ってて、買っていやタッカ!!ホッソ!!と思ったけど上映中に観るにはいいサイズなのでおすすめです。あとすっきりした甘さでおいしい。

 

 出てくる女中のおばあさんたちと、大好きな「階段をハシゴみたいに駆け上がるシーン」が観られたのは良かった。あとは、あんまり。こういう映画も悪くはないけど、個人的にもののけ姫とかぽんぽことか、ああいうジブリが好きなので、ちょっと好みには合わなかったかな。TVシリーズエヴァの終盤観てるときの気分もこんなだった、と久々に思い出しました。事前情報を隠すほどのものなのかもわからない。

 母を火災で喪ったこと、その傷が癒えないうちに母の妹と父が再婚したことによる父への不信、母にそっくりな継母への戸惑い、全部を乗り越えたり受け入れたりする過程の話……だと思いながら観ていました。が、時間をかけて真人へ感情移入させるつくりにはなっていないので、なんかよく知らない美少年がメタファーの洪水か!って謎の地下世界を駆け回ってなんか納得して家族仲良く暮らしましたとさ(尚序盤で出てきた兄弟は徴兵されたのか以降いっさい出てこない模様)、という感じで、観ているあいだは終始( ゚д゚)コレ。

 エンドロールの米津玄師の歌は起伏がなくて好きでなく、歌詞がまったく頭に入ってこなかった。私、わかりやすい歌じゃなきゃだめなの……。

 あと主人公とヒミのなんともいえない棒読み感が気になってしょうがなかった。特にヒミはわざとなのか語尾の力の入り具合がすごくて煉獄さんみたいだった。怖い。

 

 夏子に心を開いたシーンってどこなんですかね。真人が自分でつけた傷を心配してくれたから? あれは単なる裕福な自分の立場を利用した遠回しな学友への仕返しにしか自分の目には映らなかったので(あとで「悪意」と言っていたし。もしかしたら父親を試した意味もあるかも)、青鷺に狙われたのを矢で救ってもらったところなんだろうか。あるいはやっぱり母の遺した本を読んで、というのが一番大きいのかな。読んだあと夏子を探しに行っていたし。「父さんが好きな人だから」というのは、こんなに早く夏子を受容してしまう自分へのわずかな抵抗とか。

 夏子は青鷺に襲われたとき、大叔父(大伯父?どっちか話していたっけ)が姉の残した真人を連れて行こうとしていることに気づいて、自分の子を地下世界で産んで代わりとしようとしたのかな〜と思ったりなんだり。にしたってあの産屋のシーンは怖い。西洋風の町並みと、急な男子禁制の古い価値観が混ざり合ってるあたり、う〜んお金持ちの世界。ヒミと夏子が後継者に選ばれなかったのは女性だからでしょうね(女性天皇〜……)。

 この地下世界自体は大叔父が現実世界から逃れ、かつ自分の理論を証明するための箱庭で(なぜできたのかは隕石パワーということにする)、その理論が破綻し現実世界のように崩壊しかかっているが、大叔父はこれ以外を知らないため、新しい価値観を学んだ真人にまったく別の理論で世界を作り直してほしい、と願う。しかし軍国主義のインコ大王が割り込んで世界を組み直したことで、箱庭がとどめを刺されてしまう。逃れるすべを失えばあとは現実に戻って生きていくしかない。

 地下世界のもやしもんことワラワラがあの船のシーンだけでさっぱり終わってしまったのは悲しい。ワラワラかわいすぎてワロタ。キリコは体制側で働く人、死者は一般市民で配給を待つ人、ワラワラはその中で生まれ、可能性に向けて飛び立とうとするが、もはや行き場なく抑圧され、道連れを探すペリカンに食われてしまう(最初観たときライフストリームに落ちたクラウドかと思った)。そんなペリカンを撃退するためにワラワラを割り切って一部犠牲にする上流階級のヒミとそれに憤る同じく上流階級の真人の間にはあとから考えるとはっきり線が引かれているよう。ペリカンを丁寧に葬る真人の心からは階級社会はもはや存在していない。

 本来襲われる側のインコが象すら食らうというのは、温厚な生き物(インコが温厚かはやや疑問の余地ありですが)を集めれば平和な世界が構築されるはずだ、と考えて象徴的にインコが集められたが、天敵がいないことでどんどん数が増え、食料がまかないきれなくなり、人をも襲う凶暴性を身に着けていった結果、という感じかなあ。

 

 多分原作の方に地下世界の各地区の考え方は載っているんだと思いますが、読んだことがないので、シンプルに映画を観た感想だけ。読むかな〜どうだろ。ちょっと興味は湧いた。

 ジブリ=大衆娯楽と捉えて観に行くとつらいことになる映画でした。そのため観賞直後は印象がよくなく、疲れてすぐ帰ってしまったけど、こうしてあれこれ考えるには楽しいかもしれません。ただ、もう一回観たいかと言われたら……私はぽんぽこでいいです。

レインコードだ〜っとかんそう【ネタバレあり】

 う〜〜〜ん……。ダンガンロンパ1・2レベルを期待してしまっていたからか、思ったより、という感じ。面白くないわけではいし、新規IPでここまで出せるのはやっぱりすごい。ただ、途中までよかったのに、ラストバトルで急ブレーキがかかってオチがとんでもなく弱かったので、なんか微妙……と思って終わってしまった。

 謎を解いてみんなを幸せにするという考えがいまいちよくわからず、最後まで置いてけぼり。FF5序盤で道が崩落かなんかしてどこも通れないって言ってるのに、バッツの「でも、行かなくちゃ!」でなんとかなってしまったときの気分を思い出した。

 事件も比較的単純なトリックで、物足りなさを感じてしまった。わからなくてストレスがたまることがないと考えればいいっちゃいいのかなあ。ダンガンロンパ1が後半あまりにしんどくて、2で最初から低難易度にした記憶がある。

 「ダンガンロンパといえばピンクの血」を逆手に取ったのは面白かった。あとは全体的にいろんな作品のオマージュや、馴染みのある表現が出てきて、やりやすい傍ら展開の予想がつきやすくて良いような悪いような(一部はただ似てるだけかもだけど)。肉まんのところはゼノギアスっぽかったけど、他にもマカオの事件もあるし、カニバリズム系異食系はこのあたりのストーリーで頭打ちかなーと思ったり。

 「複製品が本物になりたがる」とかレプリカモノでは逃れられないストーリーなんですかね。どこにでもある作品展開だなと。それに「相棒との別れ」とか、こういうよくある展開への「どっかで見たことある」はがっかりするに十分だった。

 

 ヤコウが死んだとき、みんなとヤコウの絆は深まっていたようだけど、私との絆は別に深まっていなかったので、「まあ子安だししょうがないよな」という感じだった。私よりヴィヴィアのほうが仲良くなってた。

 「探偵との語らい」も本編のどこで差し込まれているのかピンとこなかった(本編は間髪入れずに進んでいる感じがある)。とはいえそこで語られる各キャラクターの裏設定(ハララさんの猫好きとか)がわりと普通だったからか、特別愛着もわかず……。

 

 エピローグでホムンクルスがみんな揃って自分の存在を受け入れているのも、話がうまくいきすぎて違和感があった。自由に街の外に出られるようになりました!っていうのも、いやいやうっかり凶暴化することがあったらどうするんだとか。協定結んでるんだろうけどさ。あっさり代替栄養食が見つかるのも、いやマコトさあ……ってならない?

 そしてマコトが人間を拐って食肉にしてたのは、外の世界にはある程度情報を伏せられて届けられたか完全に隠蔽されたかしたのか、まったく裁かれてないのは納得いかなかった。自分でどっかでけじめをつけるのかもしれないとはいえ。

 意図的に理想的な世界にしたんだと思うけど、よりいっそうの不気味な街になったのを、きれいな言葉で見えなくしているだけのようで、好きじゃないオチでした。

 あと未解決事件を解決するより根本的に事件が起きないようにしないと死に神ちゃんに一生会えないのでは……。

 

 システム面はロードがめちゃめちゃ長いのと、最後謎迷宮を去るか残るかの二択チョイスのときにマコトの謎怪人が消えてなくて近づくとガシーン!って音がなるのどうにかしてほしい。UIはそんな悪いところはなかったと思います。とにかくホントにロードが長い。プレステで出してほしかったですね……。