174日前の私はすごく悩んでいたようだ

 ドラフトに眠っていた記事を公開してみる。

 

 

 嬉しかったことがあるんだけど、それを書くためにはまず前段にあるつらいことを思い出さなければならなくて、結局書けないのであった。ただひとつ書くとすれば、今日はいろんな人が私を気遣ってくれて、つらいことでなくそのことに対していたく感動してトイレでたまらず泣いたのであった

 つらいことのために嬉しいことを捨ててここを去るのか、嬉しいことのためにここに残り耐えるのか、どちらが自分を最も消耗させるのか、まったくわからない。嬉しいことのために一回怪我する必要があるんじゃあだめな気もするし。今、帰宅してこれを書いてるんだけど、内臓がなんだか痛んで苦しいし。そして、実際私がなにかつらい目に遭っている最中彼らが声を上げられるわけでなく、ことが終わった後いたわる以外できないことも知っている。私もたぶんそうだ。じゃあそれって嬉しいの?って聞かれると、やっぱり嬉しいんだよね。

 去年だったか、ゼミの友人と久しぶりに会って。私はそのとき仕事でかなり苦しい状況にあったんだけど、会えたのが嬉しくてすごくはしゃいでたら、「おまえはいつでも明るいなあ」と笑って言われた。明るいんじゃなくて、あんたに会えたのが嬉しくて笑顔なんだよーとあのとき言えばよかったな。咄嗟に返せなかった。じゃなくて。明るいと言われたことが本当に嬉しいくて、私はなにより人から明るいと見られたい。その明るさをつくろえなくなったとき、自分がどうなるのかわからないでいる。

 最近は精神的にギリギリのところで救われては落ち、を繰り返していて、とにかく疲れる。しばらくは平和なはずなので、この期間に回復できたらいいけど、またそのあいだに次がやってくることがわかっているわけで、もう嫌な気分になる。これが絶え間ない人は大変だ。

 

 先週土曜日に、頑張ったからってピザひとりで頼んじゃったの、失敗だったな。本番はまさしく今日だった。ご飯作らないとね。あーまだジャケットも脱いでなかった。

 

 

 

 と、174日前の私は何かにすごく悩んでいますが、私は何も覚えていないし今は比較的元気です(体のほうは相変わらずだけど)。多分仕事がつらかったんだと思う。書くだけ書いてドラフトに眠らせておくと、タイムカプセル感があって面白いですね。SNSのほうはたしか3ヶ月くらいでなにもかも自動的に消えるように設定してあるので、こういうことはできない。

 SNSは煙のようなものの扱いです。