ドロシー・カウンツと少年

 あけましておめでとうございます。色々と公開できていない記事がありますが、今年も自分のペースで続けていけたらと思います。当面の目標は継続ですね。

 そしてあけて早々、なんとも苦しい(……)環境におり、さまざま記事を読み漁っていました。そんななか、アメリ公民権運動の先駆けとなった黒人初の高校生ドロシー・カウンツの有名な写真を見、「そういえば彼女をいじめている少年たちのその後はどうなったんだろう?」とふと思い、調べてみたところ一つ記事が見つかりました。

 

Tommy's Table: Woody Cooper, a brave man: http://ttomlinson.blogspot.com/2010/09/woody-cooper-brave-man.html

 

 以下、簡単な抄訳。

 

 ウッディ・クーパーはドロシーを虐待する群衆の写真の中にいたひとりである。彼自身が虐待に加わることはなかったものの、彼女を守ろうとすることもなかった。彼は虐待を止めなかったこととも、虐待することと大きな違いはないのだという結論に達する。

 そして写真から49年が経過した2006年のある日の日曜学校、怠慢の罪について神父に問われ、ウッディ・クーパーは手を挙げ、こう言った。

 「ドロシー・カウンツです。」

 さらに彼は本の表紙になったドロシーの写真、そこにうつるひとりの少年を指差し、「あれは私です」と続けたのだった。

 

 その翌日、ドロシーを特集した記事が新聞に掲載される。なにかのサインであると確信したウッディはドロシーのメールアドレスを手に入れ、彼女へ「これも神の思し召しである」とメールを送る。あの生徒たちの中で、彼女にコンタクトをとったのは彼が初めてであった。

 当初彼女はあまりにも遅い連絡に腹を立てていたが、メールをやりとりする中で、彼の心からの誠実さに気づく。彼女が15歳のときに行ったことは、とてつもなく勇気のいることだった。しかし、それから50年近く経ってウッディがしたこともまた、勇気のいることだったのである。

 

 その後ドロシーとウッディは親しい友人となり、教会で話したり、一緒に授業を受けたり、電話やメールで話したりするようになった。

 ウッディの妻ジュディはこれについて、「長い年月を経てこうしたつながりができたことは、彼にとって非常にうれしいことでした」と言う。

 

 ウッディはがんにより入退院を繰り返し、ついにホスピスに入った。そして死の前夜、ドロシーは彼の見舞いにやってきた。

 「私が来たことに彼は気づいていなかっただろうけど、でも2時間半一緒に過ごしたんですよ。私たちは親友になりました。私は彼を愛していたし、彼もそうだったと思います。」

 

 「あのときの被害者、加害者は今?」という、正直なところ、大変下世話な根性で調べたのですが、こんな話があったとはおどろきました。記事が2010年のことですから、この数年後トランプ大統領時代が訪れると思うと、アメリカという国の難しさについて考えてしまいます。

 

 ところで、こういうとき私はいつも「信仰の力」が真っ先に出てきてしまうものの、よくよく考えなくとも、これは本人のもつ心によりますよね。私もいまだ人に言えないものがあり、それをどうにかしたい!と思うとすぐ「なにか信仰したら早いのかなあ」とか、とんでもなく失礼なことを考えるのですが、そんな調子じゃ何を信じようが多分逃げ回るんだろうな〜と……。告白する苦しさを神が代わって感じてくれるなんて、都合の良いことは起こらないのだし。

 もうそろそろ、というか、とっくに恥ずかしい年齢なんですけどね。